平成29年2月・如月
信長公記(太田牛一)
●移転の後遺症がまだ長引いています。
●私事ですが、2月に表千家の講習会が京都で有りましたので足を伸ばして
太田牛一(おおたぎゅういち・うしかず・大阪府
池田市)のお墓に行ってきました。
[上の写真は、牛一のお墓がある仏日寺(池田市)の山門です。]
●そこで、今月は太田牛一のお話です。
牛一は、信長の記録を書いた「
信長公記」の筆者です。
実は、彼は信長の重臣・柴田勝家の家臣でした。
それも弓の名人でした。
その腕を見込み信長が自分の家臣に取り立てました。
●牛一の残した信長公記は、信長の事を知る大切な資料になっています。
例えば、桶狭間の戦い本能寺の変等の事を書き残しました。
[一番奥が牛一のお墓です。
この場所は、本堂のある所から少し歩いた場所にあります。別の土地です。]
●牛一のお墓は、元は別のところにありましたが、
牛一の三代目がここ仏日寺に移したと記録にあります。
牛一は、慶長18年死亡(86歳)とあり、詳しい月日は記録に残っていません。
●3月のよもやま話は、「名将言行録」(岡谷繁実)です。