●今月は、宗義智(そうよしとし)が亡くなった月です。
義智は対馬(長崎県対馬市)の藩主です。小さくても一国一城の主です。
宗氏は、対馬を代々治めてきました。
[義智の長男・宗義成が父の供養の為に建てた万松院です。
偶然、長崎新聞の記者が取材に来ておりましたのでお話を伺いました。]
●対馬は小さな島で農地が少ない為に農業だけでは国が成り立たず
漁業や交易で成り立っていました。魏志倭人伝にも「良田なし」と書いてあります。
特に朝鮮国との貿易に重きをおいていました。
ところがその朝鮮国に秀吉の「朝鮮出兵令」が出ました。
義智は、義理の父・小西行長と共にいやいや出陣しました。
又、関が原の戦いでは三成(反家康側)に付きましたが、
義智は朝鮮交易に不可欠という事で家康に許されました。
その家康が朝鮮国との交易を再開した時には中を取り持ちました。
その時に、それぞれの国書を相手国を怒らせない文面に偽造しました。
しかし、この偽造工作は朝鮮国に直ぐにばれました。
徳川家にも後でばれましたがこの時もお咎め無しでした。
朝鮮国と宗氏との特殊な関係が重要視されている為です。
[写真の長い階段は「百雁木」と呼ばれています。
この階段をを登ると歴代のお墓があります。重厚でとても立派な歴史を感じるお墓です。]
●2月のよもやま話は、「利休の話」です。
又、聞いて下さい。
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