令和6年3月・弥生
「淀城」(淀古城)
●今月は、秀吉が側室・茶々のお産の為に
淀(よど)城を与えた月です。
[上の写真は、淀古城の碑です。妙教寺(京都市伏見区納所)にあります。
納所(のうそ・納税する所)と云う古い地名です。隣に
戊辰戦争の碑があります。]
その後、茶々(
浅井長政の娘)は淀殿と呼ばれるようになりました。
この5月には、この城で長男鶴松が無事生まれました。
しかし、病気になり、天下の名医が呼ばれ、しかも、
全国の神社仏閣に病気平癒の祈祷が命じられました。が、
甲斐なく2歳3ヶ月で亡くなりました。
その後、次男の秀頼が2年後に大坂城で生まれました。
●淀城と云うと幕末に
春日局(福)に繋がる
稲葉氏が入っていましたが、
茶々の淀城とは800メートル位離れています。ややこしいので、
淀殿(茶々)の淀城は、「淀古城」と呼ばれています。
[上の写真は、江戸初期に造られた淀城(京都市伏見区淀本町)です。
幕末には、稲葉氏が入っていました。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。