令和6年1月・正月
「平手政秀」(信長の傅役・もりやく)
●今月は、平手政秀(ひらてまさひで)が自刃した月です。
[上の写真は、政秀のお墓が有る政秀寺(せいしゅうじ)霊園です。
戦後の大規模な区画整理で市内の多くの墓地が平和公園(名古屋市千種区)に
移されました。政秀寺墓地もここに移りました。
写真の右側の坂を登った所に政秀のお墓(下の写真)があります。]
政秀は、織田信秀(おだのぶひで・信長の父)の重臣で、
信秀の命で信長の
傅役(もりやく)になりました。
政秀は、又、茶道、和歌に通じている文化人でもあります。
●この頃、織田家は東海の名門今川家(今川義元)と
美濃の斎藤家(
斎藤道三)との争いが絶えませんでした。
政秀は、美濃の道三との和睦をとりなし、しかも、
道三の娘の帰蝶と信長との結婚を取りまとめました。
●信秀(信長の父)の葬儀の時に、信長が抹香を位牌に投げつけた等の
奇行を憂いて自身の死をもって信長を諫めたと云われています。
[上の写真は、信長が政秀の菩提を弔う為に建てた政秀のお墓です。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。