令和4年2月・如月
東京青山の語源(青山忠成)
●今月は、青山忠成(あおやまただなり)が亡くなった月です。
●この青山忠成の屋敷が現在の青山(東京都港区)にありました。
その屋敷跡だからこの地区を青山と呼ばれるようになりました。
[上の写真は、青山一丁目交差点(東京都港区)にあるホンダのショウルームです。
目の前が青山通り(通称246)です。
この辺り一帯が青山忠成の屋敷跡で、非常に広大です。
尚、このビルには、「本田宗一郎の水」が有りまして、当然飲んで来ました。]
●青山忠成は、
大久保彦左衛門らと共に
結束の固い
三河以来の徳川家の家臣です。
しかも、秀忠(将軍・家康の息子)の
傳役(もりやく)をも努めました。
●家康が江戸入りしてすぐの事です、忠成に
「あの辺りを馬で駆けてみよ、駆けただけ土地をやる」
と云われてこの土地を貰いました。
江戸城の西側の守り、大山街道を守る形となりました。
[上の写真は、江戸の中期頃から青山忠成の子孫が預かった
篠山城です。
この城は、幕末維新まで青山家が預かりました。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。