令和2年12月・師走
就活の悩み(千宗旦)
●今月は、千宗旦(利休の孫・そうたん)が亡くなった月です。
[宗旦は、祖父の切腹の事が頭から離れませんでした。
上の写真は、その引き金となった大徳寺山門です。
宗旦は、当時ここ大徳寺で修行をしていました。]
●宗旦は、息子・宗左の
就活に苦労しました。
始め、
寺沢家に仕官させました。が、
その寺沢家が断絶となり浪人しました。
その二年後に
生駒家に仕官させました。が、
すぐにお家騒動が起こり、又、浪人しました。
その後、
稲葉家に話が有りました。
ほとんど同じ頃に紀州徳川家からも話がありました。
宗旦は、「内情は稲葉家が良く、外聞は
紀州徳川家が良い」と考え
念願だった紀州徳川家へ仕官しました。
[左女牛井(さめがい・京都市下京区)、読めませんね。
村田珠光、千利休、宗旦始めお茶人がこの水を飲んできました。]
●1月のよもやま話は、「 」( )です。