令和2年7月・文月
国友(鉄砲を500注文)
●今月は、信長が国友村に
鉄砲を500挺注文した月です。
鉄砲が種子島に伝来してわずか6年後の事です。
[上の写真は、国友町(滋賀県長浜市国友町)の一角です。
モニュメントは江戸後期に生まれた発明家
・国友一貫斎のイメージです。
少年が天体望遠鏡で星を見ています。]
●鉄砲が種子島へ伝来したその翌年には、将軍・
足利義晴が
国友村に鉄砲を作るように命じました。国友村では、
鍛冶屋が総出で将軍から預かった見本の鉄砲を解体研究し、
その六か月後には国友製の鉄砲が出来上がりました。
中でも、一番難しくて解らなかったのは
鉄砲の銃身の後部を塞ぐ栓(尾栓・びせん)です。
ネジ込み式の部品の事です。
●当時の日本には「ネジ」と云う部品の考え方はなかったのです。
[上の写真は、ネジの作り方を開発した治郎助の屋敷跡です。
刃こぼれした包丁で大根を剥いた時に思い付いたと云われています。]
●7月のよもやま話は、「 」( )です。