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浅野長政の息子・幸長(よしなが)が外堀の一環として掘り広げました。
●余談ですが、この溜池が泥で直ぐに濁ってしまいますので、
そこで、浅野幸長が泥を掻い出す作業をします。
実際に、現場で作業をする人は現地の江戸っ子です。
江戸っ子は、「かっ」と云う言葉を単語の頭に付ける習慣があったらしく
「耳をかっぽじって」とか「ご飯をかっこむ」という風に。
そこで掘る掛け声は「掘れ、、掘れ」が「かっぽれ、かっぽれ」となります。
これが歌となり「かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ」となったらしいです。と
司馬遼太郎の「街道を行く」に書いて有りました。
●この長政の家系から後世忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭がでます。
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Copyright 西室 博史 2001